行方不明者の家族の方へ

「さよなら」のない別れ

目の前にある現実を、ありのまま受け入れるには時間がかかります。家族が行方不明であることは、いまだ信じられないことでしょう。その状況に慣れることは大変なことです。その方の事をいつも考えて不安になったり,生きていないのではないかと気持ちが沈んだり,時には生きているはずだと思ったり、とても不安定な状態になります。また,こういう気持ちが周囲に理解されないために,「もう忘れなさい」,「あきらめなさい」といった言い方をされて傷つくこともあります。亡くなっているだろうと思う場合でも,それが確認できない限り,人は希望を持ち,待ち続けるものです。

 

「あいまいな喪失」には,答えがありません。誰もその方が生きているのか、そうではないのか、正しい答えを出す事が出来ません。そのような状態では,家族は,その方を待ち続ける事になり,自分がどのように考えたらよいのか,またどのように生活したらよいのか,どのように生きたらよいのか,またその方をどのように考えたらよいのかわからなくなります。これはとても不安で,どうしてよいかわからない状態です。また、家族の中でも、1人1人、そのとらえ方や感じ方が異なります。

 

そのような場合,どうしたらよいのでしょうか? 多くの場合,自分でもあきらめなくてはならないと思ったり,周りからはあきらめるようにすすめられたりします。そのように確実でないことに決着をつけることはとても大変なことです。

Pauline Boss博士博士は,このような状態の方にこう勧めています。「決める必要はない」と。どうしてでしょうか? 「わからない」というのがこの場合最も正しい状態だからです。しかし,「わからない」状態でも、その喪失に対処することは可能です。

 

今もそのような状況に苦しんでいる方は「どちらかに決める」必要はありません。気が進まないのに、追悼式や葬儀に出る必要はありません。無理に喪失を認めようとしなくても構いませんが,その方との繋がりを感じられるようなことは、行うほうが良いといわれています。例えば,その人のことを家族で話したり,写真を飾ったり,その人の友人を家に招いたりすることは,心の中でのその人との繋がりを取り戻すうえで役立ちます。

 

また、同じ体験をした人や、自分の思いを理解してくれる人に、思いを話してみることが助けになる場合もあります。その時、たとえ相手が自分とは違う思いであったとしても、どちらかが間違っているということではありません。状況があいまいで不確実なので、出てくる思いや考えも人によってさまざまなのです。

 

あいまいな喪失への対処は、「ひとりひとり考え方が違っても良い」ということから始まります。あなたの周囲の人も、あなた自身も、そのことを認められるようになれば、互いに支え合うことができます。自分の思いが尊重されたと感じた時、人は次の一歩を踏み出せるのです。