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あいまいな喪失
別れのない「さよなら」とは

Pauline Boss博士は、あいまいな喪失のもう1つのタイプを、別れのない「さよなら」(=Goodbye without Leaving)と名づけました。「身体的には存在」しているけれども、その人は以前のその人とはすっかり変わってしまい、「心理的には不在」と感じられる喪失をさします。

 

たとえば、認知症、薬物やアルコール依存、抑うつ、その他の精神疾患、頭部外傷後などがそれにあたります。また、東日本大震災の福島では「故郷の町は以前とはすっかり変わってしまった」という現象が起こりましたが、このような場合も、別れのないさよなら(あいまいな喪失のタイプ2)にあてはまると考えられます。

東日本大震災後の福島におこったこと

東日本大震災の翌年である2012年12月1日、福島でPauline Boss博士の講演会が開かれました。

 

その際、Boss博士は、震災後の福島の状況を、あいまいな喪失のタイプ2「別れのないさよなら」にあたると述べました。東日本大震災後、福島では次のような問題が起こりました。

 

  • 昔からの土地はそこにある。しかし、それはかつてあったものとは同じではない。
  • 家族は今でも存在する。しかし、多くは離ればなれになり、かつてのように同じ屋根の下に暮らすことはできなくなった。
  • 友人や近隣の人たちは今も存在する。しかし、以前のように、近くにいて互いに支え合ったり、慰め合ったりすることはできなくなった。

 

これらの問題は、まさに「あいまいな喪失」と呼ぶことができます。

 

その後、数年が経過し、震災直後に避難を強いられた地域も、避難指示が少しずつ解除され、住むことができるようになっていきました。一方、この数年の間に、新しい土地に住居を移し、故郷の町と離れる決心をされた方も多くおられます。故郷への深い思いを持ちながらも、そこを離れざるをえなかった深い喪失感を持ち続けている人も少なくありません。

これは、あいまいな喪失のタイプ1「さよならのない別れ」と呼ぶことができます。

 

東日本大震災後に起こった原子力発電所事故は、故郷に戻った人たちにも、そして戻らない、あるいは戻れない人たちにも、多くのあいまいな喪失をもたらしました。

 

しかし、Boss博士はいつも言われます。「終わりのない喪失をかかえながらも、人々は次の一歩を踏み出せるのだ。」と。

 

現在の福島には、福島の人々が安心して暮らせるように、懸命に取り組む行政職や支援者の姿があります。産業の各分野の人々も、地道に復興に取り組んでいます。また、故郷の町を離れた人たちが気軽に参加できるイベントなども開催されています。

「あいまいな喪失をかかえながらも、人々がともに生きていく」ための模索が続いています。

故郷や住み慣れた土地に帰ることが難しい方へ

「強制的な避難を強いられること」や「やむなく住居を移すこと」は、単にそれに伴う身体的・心理的・経済的負担だけでなく、さまざまな心身の健康の問題につながりやすいことが、海外の移民や難民の研究においてわかっています。

 

Pauline Boss博士も同じような体験があります。スイスに家族を残し、アメリカに移民した父親の寂しげな姿が、Boss博士が「あいまいな喪失」という概念を考える最初のきっかけとなりました。会えなくなった自分の母親やきょうだいに宛てた父親の手紙の最後には、いつも「私たちは再び会えるだろうか」と書かれており、母国を思う父親はずっと落ち込んだ様子であったといいます。

やむなく離れた故郷を思う時の喪失感は、人々が考えるよりもずっと深刻な場合があります。

 

Boss博士は、このようなあいまいな喪失に遭遇した時、「AもBも(A and B thinking)」という考え方を薦めています。これは「弁証法的思考法」と言われるもので、両極のAあるいはBというどちらかに決めるのではなく、A・B両方を取り入れ、受け入れる方法です。

 

例えば、「故郷の町を離れて申し訳ない」「故郷の町を忘れなくては・・」と考えるのでなく、「新しい場所に住んでも、思い出のたくさんある故郷の町への思いを忘れる必要はない。」「故郷を離れても、私にとって大切な故郷であることに変わりはない。」と考えてみましょう。ボス博士は、「AもBも(A and B thinking)」という考え方を用いて、様々な変化に真向から立ち向かうのではなく、柔軟に自分の考え方を和らげていくことを推奨しています。

 

また、このような経験をされた方の中には、これまで、ただひたすら走ってこられた人も多いことでしょう。それは全速力で車を走らせることと同じです。いつも自分の前に立ちはだかる急な坂を昇るため、最速のギアで前に進むように自分を奮いたたせてきたかもしれません。しかし、そのように全速力で走り続けると、人は燃え尽きてしまいます。

大切なことは、ギアを変えていくことです。車の速度を落とす時にギアを変えるように、徐々にゆっくりと楽に走ることのできるギアに変えていきましょう。

 

それではあなたやあなたの家族にとって、ギアを変えるということは、どういうことを意味するのでしょうか?

その答えを探すために、家族でそのことについて話し合ってみましょう。話し合いの時、できれば子どもたちも、その輪の中に入れて下さい。子どものほうが創造力を発揮して、新しいアイデアを出してくれることもあります。このような話し合いは、現状の問題を整理し、家族がこれから生きていく上で、とても大切なプロセスとなります。

認知症とあいまいな喪失

Pauline Boss博士は、「そこに存在するが、以前のその人ではなくなってしまう」認知症は、家族に「あいまいな喪失」をもたらすと述べています。認知症の進行に従って、家族は明らかにその人を失っているわけではないにも関わらず、以前にあったその人との関係性のすべてが変化し、多大なストレスにさらされます。

 

「夫でありながら、夫でない」「母でありながら、母でない」その人を介護し続けることは、並大抵なことではありません。やがて、いつ始まり、いつ終わるのかもわからない慢性的な悲しみが、介護の問題以上に家族のストレスを増幅させ、非常に大きな苦痛と不安を引き起こすこともあります。

 

Boss博士はそのような家族に対し、まずは自分が経験している「あいまいな喪失」について、よく知りなさいと説いています。

認知症は、日々、行きつ戻りつしながら病状が進行するため、家族は繰り返し何度も喪失感を体験し、自分の気持ちに区切りをつけたくても、それが難しくなる場合があります。認知症の人との関係を以前と変わらない状態で保ち続けようとする介護は、家族を次第に追い詰めていきます。

家族の不安や絶望感は、その家族のせいではありません。「あいまいな喪失」がそうさせるのです。

 

無理に自分の気持ちを閉じ込めないで下さい。「悲しい」「元気がでない」「やりきれない」など、自分自身の素直な気持ちをもっと大切にして良いのです。認知症の人に対して、「自分が何とかしなくては・・」ではなく、ほどよい距離感で、状況の変化に合わせた新たな関係性を探しましょう。そして自分にとって心の支えとなる人との時間を大切にしましょう。

 

Boss博士は、家族のようにそばにいてほしい人を「心の家族」と呼んでいます。従来の家族の形にこだわらず、信頼できる人を頼り、今の状況にあった生き方に転換していくことで、「新しい家族の形」を見つけていくのです。